甲類焼酎の魅力

このサイトにくるような諸兄ならもはや分かっていると思うが、甲類とは連続式蒸留器で蒸留した焼酎である。日本では日露戦争時代、ドイツから輸入されたものが原型だ。

こいつはエタノール製造機みたいなもんで、複数の抽出蒸留器や減圧蒸留塔が組み合わさっている場合が多く、96%以上のアルコール度数のものがえられ、アルコール回収率は実に99.5%以上を誇る。(出典 1995/2/1 酒の科学)

これによって得られたアルコールを、36度以下まで加水したものが甲類焼酎だ。

 

なんだ、そんなの、味の違いなんてないだろう。口さがない方はそんな意見を言うかもしれない。

 

実は、甲類焼酎には「全容量の5%なら乙類焼酎を混和してもよい」ことになっている。

職人たち、企業はその5%にすべてをかけるのだ。たった5%がもたらす微細な味の変化を追求し、ボトリングして我々に提供される。なんて繊細だろうか。決して主張しない裏側に美学を求める。その点に着目すると、乙類が派手で仰々しいものに想えてしまう。甲類の精微で微細な美しさに唸らないだろうか(?)

 

変化はそれのみではない。得られたアルコールを多種の樽に詰めたり(熟成させる時間や、樽の素材によっても味の変化が生じるのだ!)、蒸留器の違い(イオン交換樹脂不使用)だったり、アルコールを得る前の原料だったり(糖蜜・オオムギ・米・コーンスターチなど多種にわたるし、その配合にもよる)、多彩である。もちろんそのまま何もせずボトリングしたものもある。それはそれでピュアでクリアでおいしい。

この企業努力を知って尚、「甲類焼酎に違いなどない」と言えるだろうか。お金のない学生時代に無理に飲まされたあの味を思い出してないだろうか。

連続式蒸留器は進歩しすぎてしまった。当時の科学者が味のクリアさを必死になって研究して、ついに終わりが来てしまった。逆説的だが、そこからの発展として、甲類焼酎は逆行することになる。味の雑味を再評価し、些細な滋味と妙味を苦心して生み出すのだ。進歩しきった文明に湧き上がる懐古論。どこかノスタルジーを感じるSFちっくな話にも見えてくる。

 

どうだろう。ちょっと興味が出てきたかしら?

一度、高価格帯の甲類焼酎を買ってみてほしい。いや、安くてもいい。二種類買って飲み比べてみるのだ。そして、ぜひストレートor水割りで飲んでほしい。微妙な違いを感じるはずだ。感じなかったならもう一種類買ってみよう。

味の違いがわかったなら、割っちゃって構わない。僕はグレープフルーツジュース割りが好みだ。(ちなグレープフルーツには二日酔い防止効果がある)自分色に染め上げて楽しんでくれ。割るにしても、「この甲類ならこのジュース」「こいつならホッピー」など各種の特徴が見えてくること間違いないぞ。さあ今すぐビニコンにダッシュだ!